みなさん、こんばんは!!
今回は「若者に期待している大人たちへ」というテーマで記事を書きたいと思います。
若干、棘のある感じのテーマですが、私なりに考えている、思っていることを書きたいと思います。
そもそも、若者ってなんだ?
若者、若者とよく使う単語ですが、若者ってそもそもどんな世代だ?
私もこの若者という括りがどの程度の人を差しているのか不明です。
小千谷に通っていたころに、とある会合で70代の方々が、「ちょっと若者連れてくるわ!」と言って連れてきた人は50代でした。
私も若者たちという言葉を使うことがありますが、現在35歳の私が使うときは、なんとなく10代~40代前半のイメージがあります。
高校生からしたら、30代はもはやおじさんと言われたことがありますが・・・
若者という基準は、自分の年齢を基準にしてなんとなく同年代や年下の人ということなのではないでしょうか?
年長者は若者に対して否定的なのか?
年長者は気持ちと行動の不一致が起きているのではないか?
会社や地域でもよく「若者の意見を聞きたい」と言われて話をすることはないでしょうか?
せっかくだからと話をしてみたにもかかわらず、「よくわからない」「ついてけない」というリアクションで、結局何も変わらなかった、受け入れてもらえなかった、という経験をしている若者は多いと思います。
せっかく言ったのになんで否定されるの?
聞きたいっていうからアイディアを話したのに・・・
その結果、「もういいや」という思いになり、若者が離れていっているのではないでしょうか?
年長者が悪いということはないのですが、年長者も純粋に若者の意見が聞きたい、何を考えているのか知りたいと思っているはずです。
しかし、その純粋な気持ちとは反対に無意識的に「わからないから」と否定している反応になっているのではないでしょうか?
若者側にも伝え方という部分で失敗することもあります。
私自身もそうですが、話を聞いてくれるって嬉しいことですし、自分の得意なことや日頃思っていることがあればなおさら一生懸命に伝えようと思います。しかし、一生懸命になりすぎて相手の理解度や専門用語などに配慮できずに進めてしまうこともあります。
どちら側にも「よくしたい」という共通の想いはあるはずなのに、聞き方・伝え方でミスマッチを生んでいると私は思います。
「気持ちと行動の不一致」のギャップを埋めることが重要ではないでしょうか?
質問や話の内容が抽象的過ぎる
近年の若者は目まぐるしく変化する社会のなかで暮らしています。PCやスマホ、インターネットの普及など情報社会の中で効率的に暮らさないと仕事や生活が成り立たない時代にあります。そういった中で生活していることで、効率的で論理的な考え方が習慣的になっていると思います。
若者からすると、抽象的な質問は返答するのが難しいと感じていると思います。
「え?何が聞きたいの?」「抽象的過ぎてよくわからないけど」「なんのために聞いてるの?」という風に思うと思います。
質問には、オープンな質問とクローズな質問があります。
例えば
オープンな質問は抽象的で「今日の夕飯は何食べたい?」
クローズな質問は選択的で「今日の夕飯はハンバーグか餃子、どっちがいい?」
さて、若者に対してどんな質問の仕方をしているでしょうか?
「小千谷についてどう思う?」
「商店街の活性化はどうしたらいいと思う?」
「なんでもいいから話してみてよ」
こういったオープンな質問をしてないでしょうか?
余程、常日頃から興味のあることでなければ答えることは難しいと思います。
なので、質問のスタートをより具体的に、クローズな質問をしてみることで話を広げることができますし、若者たちも具体的に答えることができます。
例えば
「小千谷のことは好き?嫌い?」→「嫌い」→「なんで嫌いだと思ったの?」
「商店街で買い物したことある?」→「ある」→「どこのお店に行ったの?」
など、会話のキャッチボールを行いながら考えていることや思っていることを引き出すようにしましょう。
期待するのはいいけど、一緒にやるの?
「若者に期待している」言葉通りに受け取れば、非常にありがたいことです。
期待され、託されているのだと思いますし、自分自身の必要性や存在意義を感じることができます。
ただ「期待している」=「丸投げ」ということになってないでしょうか?
もしくは「期待している」の中に「私たちが思っている通りの範囲でね」という考えはないでしょうか?
私は以前勤めていた会社の上司に山本五十六の名言を教わり、今回の記事にピッタリだと思い出したので乗せたいと思います。
山本五十六(名言)*二つ紹介
やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ。
話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。
やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。
この他にこんな名言もあります。
実年者は、今どきの若い者などということを絶対に言うな。なぜなら、われわれ実年者が若かった時に同じことを言われたはずだ。今どきの若者は全くしょうがない、年長者に対して礼儀を知らぬ道で会っても挨拶もしない、 いったい日本はどうなるのだ、などと言われたものだ。その若者が、こうして年を取ったまでだ。だから、実年者は若者が何をしたか、などと言うな。何ができるか、とその可能性を発見してやってくれ。
まとめ
年配者にとって私は若者。私にとって20代や学生は若者。
それぞれ若者という範囲は異なる。
しかし、次世代への希望や思いはそれぞれ抱いているし、若者も自分たちの暮らしを案じている。
若者という括りで区別するのではなく、お互いが違いを受け入れ、尊重し合い、助け合い、信頼していくことが、これからの時代には必要なことだと思います。
次回のお知らせ
次回は「移住者から見た小千谷」というテーマで投稿したいと思います。
移住してみて感じたこと、発見したこと、不思議に思うことなど、これまでに体験したことを投稿したいと思います!!
本日も、最後まで読んでいただき本当にありがとうございました。
次回もよろしくお願いいたします(^^)/