【活動ログ】「やっていることが多すぎる」こと自体が、リスクになる

活動ログ
Group of business workers working together. Partners stressing one of them at the office

― 行政が抱える“過負荷状態”について ―

前回の活動ログでは、行政運営において「斧を研ぐ時間がない」状態、つまり本来見直しや整理に充てるべき余白が失われていくことの危うさを書きました。今回はその続きとして、別の角度から同じ問題を深めます。テーマは、行政が抱える“過負荷状態”です。

ここで大切なのは、誰かを責める話ではないということです。職員の皆さんの努力不足でも、現場の姿勢の問題でもありません。むしろ現場は日々、限られた時間と制約の中で、精一杯の対応を積み重ねています。だからこそ、個人の頑張りに依存する形ではなく、構造として「過負荷」を捉え直す必要があると感じています。

行政事業は、民間の仕事とは違う独特の難しさがあります。財源の使い方には制約があり、手続きや説明責任が重く、国や県との調整も欠かせません。加えて、災害や事故などの緊急時には、必ず使命を負う組織でもあります。つまり行政は、平時でも一定の負荷がかかりやすい構造を持ち、その上で非常時の対応力も求められる存在です。

だからこそ、行政には本来「ゆとり」が必要です。ここで言う“ゆとり”は、余暇や甘えではありません。冷静に判断するための余白であり、制度を設計し直すための時間であり、人材を育て知見を蓄積するための余力です。行政が責任を果たすために不可欠な条件が、この“ゆとり”だと私は考えています。

では、なぜ「やっていることが多すぎる」状態がリスクになるのか。見えやすい問題としては、災害対応などの緊急時に、冷静で正確な判断が難しくなることがあります。過負荷の状態では、判断が「最適」ではなく「とりあえず」になりやすい。判断が短くなり、検討の余地が削られ、リスクを先読みする力が落ちていきます。

しかし、本質的にもっと怖いのは別のところにあります。それは、制度や事業が惰性で続き、誰も全体像を把握できなくなることです。仕事が多すぎる状態では、目の前の対応に追われ、「本来考えるべきこと」が後回しになります。目的は何か、優先順位はどうあるべきか、続けるべきか見直すべきか――そうした根本の問いが、日々の業務の中で置き去りにされやすくなるのです。

この状態が続くと、理想と現実の乖離が広がっていきます。計画や理念として掲げた方向性はあるのに、現場の運用は場当たり的になり、結果として「何を目指しているのか」が見えにくくなる。これは誰かが悪いからではなく、過負荷が構造的に生み出すズレです。

そして過負荷が最も削っていくものは、未来への投資です。特に痛いのは、人材育成・引き継ぎ・ノウハウの蓄積に時間が回らなくなることです。これらは“今日の成果”として見えにくい一方で、行政の質を下支えする基盤です。ここが弱ると、同じことを繰り返し説明し直したり、担当が変わるたびに振り出しに戻ったり、経験が組織に残らず、改善が積み上がりにくくなります。結果として、制度的・人的・時間的・金銭的な投資の機会が失われていきます。

私は、この問題が最終的にどこへ行き着くかを強く意識しています。それは「未来の市民生活の質」が静かに下がっていくということです。行政が高いパフォーマンスを発揮できる環境が整わないまま、過負荷が常態化すれば、判断の質も、制度の磨き込みも、改善の積み上げも弱くなります。その影響はすぐに目に見えないかもしれませんが、時間が経つほど、市民生活の安心や利便性、行政への信頼といった形で跳ね返ってきます。

だからこそ、私は「忙しい」「長時間労働」といった見た目の頑張りを前提にした精神論や根性論ではなく、行政事業・公務員が最も高いパフォーマンスを発揮できる環境をどう整えるか、という視点を重視したいと思っています。過負荷を放置せず、整理し、引き算を行い、考える余白を確保する。これは現場を甘やかす話ではなく、行政が責任を果たすための土台づくりであり、未来の私たちの市民生活の質を守り、向上させるための選択です。

今後も、派手な言葉や新しい提案だけに目を向けるのではなく、行政が本来の力を発揮できる条件は何か、そしてそのために何を整理し、何を優先すべきかを丁寧に見極めながら、活動を積み重ねていきます。

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