みなさん、こんばんは(^^♪
今回は「私の子育て体験談①不妊治療の日々~誕生まで」ということで子育てに関することを書いていきます。
いろいろと長くなりそうなので、パート①ということでよろしくお願いします。
また、パート①は不妊治療についてが主になると思います。
私は男性ですので、女性の方から見たらどうなのかはわかりませんが、私がこれまでに体験してきたことを素直に書きたいと思います。
なかなか子どもを授からなかった
私たち夫婦は2016年に結婚しました。
元々結婚前から子どもは欲しいと思っていましたし、結婚後はいつ妊娠してもいいようにいろいろと考えていました。産休や休職しても生活できるような家賃のアパートを選んだりと夫婦で相談しながらの結婚生活でした。
なかなか子どもができず、月日は流れ2018年。
私たちは将来の子育てや今後どのような生活をしたいのか話し合い、この小千谷に移住してきました。
この小千谷に移住してきたのも、私たちなりに子育ては都会より地方でのびやかに育てたいという願望があったためです。
子育てのことを考えて移住しましたが、その後も子どもを授かることなく、日々が過ぎていきました。
周囲から「子どもはまだ?」という、何気ない言葉を言われることが辛くなり、不安が蓄積していきました。
元々、妻は持病(難病指定疾患)があり、そのことが原因かもしれないと自分を責めることもありました。
お互いに気持ちが不安定になることもあり、喧嘩をすることも多々ありました。
子どもができないかもしれない
不妊治療を始められない不安があった
いよいよ不安が大きくなり、あきらめる前に不妊外来へ行くことにしました。
はたから見たら早く不妊外来に行けばいいのでは?
と思うかもしれませんが、いろいろ人から話を聞いたり、ネットで調べたりしたなかで不安だったのが、やはり治療費のことでした。
なかなか詳細は分からなかったし、補助対象の治療、補助対象外の治療など
実際にかかってみないとわからない。
人によっては数十万単位で数回かかったなど・・・・
補助が受けられる回数や年齢に制限があるなど・・・
自費になったらどうしよう・・・・
仕事も頻繁に休まなくちゃいけない・・・
たくさんお金をかけても子どもができなかったらどうしよう・・・
そういった不安で、なかなか不妊治療へ踏み出せないでいました。
自分たちだけではどうしようもなくなる可能性もあると思い、両親へ相談することにしました。
私の両親、妻の両親ともに心強く、不妊治療に対して後押しをしてくれました。
その後押しがあり、私たちは不妊治療を始めることにしました。
なかなかうまくいかない不妊治療
いざ不妊治療がスタートしたといっても順序があります。
タイミング療法などからスタートして、段々とステップが上がっていきます。
最初の検査の段階で、不妊の原因の一つが私にあることがわかりました。
私に「精巣静脈瘤」という疾患があることが判明。
要は精巣の血液循環が悪く、精子の生成量が非常に少なかったのです。
内視鏡手術で精巣から腹部に戻る血管をクリップして血管内圧を上げて血液の循環を良くする手術です。
約1週間から10日間、仕事の休みを頂いて手術を行いました。
術後は徐々に精子の生成量が回復し、なんとか正常範囲の下限くらいまで状態がよくなりました。
しかし、人工授精による不妊治療もうまくいかず、治療の段階が上がっていきました。
次のステップの体外受精からは、妻の負担が大きくなりました。
採卵は非常に痛みもあり、本当につらい治療でした。
あきらめたくないと頑張っていた妻ですが、この時は本当に辛すぎて肉体的にも精神的にも限界で、一時治療を中断することになりました。
それでも、もう少し頑張ってみようと夫婦で話し合い、治療を再開することにしました。
その後も体外受精ではうまくいかず、顕微授精のステップとなりました。
採卵した卵子と採取した精子を顕微鏡で直接受精卵を作り、体内へ戻す治療です。
ようやくできた受精卵を体内に戻し、着床させ、受精卵の成長を見守りました。
しかし、化学流産という結果になってしまいました。
妻のホルモンバランスが不安定で、受精卵の着床と成長に必要な女性ホルモン量が足りなかったのです。体外受精の段階からホルモンバランスが不安定なのはわかっていて、定期的にホルモン注射をしながらの治療でした。
この時、受精卵ができた喜びで、やっと子どもができると喜んでしまっていた私たちにとっては、辛い出来事でした。
2回目の顕微授精
2018年から2021年9月まで続けてきた治療。
この時、初めて妊娠が確認されました。
でも、これまでのことから素直に喜べなくて、途中でダメになってしまうかも。
本当に大丈夫なの?
ずっと不安でした。
そして、妊娠3か月を過ぎた頃、妻が出血し切迫流産で緊急入院しました。
絶対安静。
入院後、出血はとまり、赤ちゃんも無事が確認されました。
退院後もしばらくは絶対安静で、ほぼ寝たきり。
経過観察の日々を送りました。
待望の第一子が誕生
いろいろなことがありましたが、昨年の6月に無事に娘が誕生しました。
コロナ禍であり、入院中や出産には立ち会えませんでした。
陣痛が起きてからも、お産が進まず陣痛促進剤を投与。
2日間の陣痛で出産も非常に時間のかかった出産でした。
途中病院から陣痛促進剤を使う旨の説明を受け、出産前に本人から連絡するとの話でした。
6月3日の朝、妻とLINEで日常的なやり取りをして、私は家で農作業。
午後になり、材料を買いにコメリに向かっていた時、妻から突然LINEが来て、子どもの写真が送られてきました。
「え?産まれてる」
妻は大変すぎて連絡ができなかったそうです。
写真を見て、いろいろな感情が溢れ出て、コメリの駐車場で私は号泣。
忘れもしません、その横でずっとコメリのBGM「いつも、そばにずっと。」が流れていたことを。
北のあの人も
南のあの人も
東も西も
いつも そばに ずっと ずっと コメリ
この曲の「いつもそばにずっと」の部分がもう、なんかさらに涙を出させていた気がします。
次回のお知らせ
長くなりましたので、今回はここまでにいたします。
次回は、「私の子育て体験談②退院から現在まで」ということで投稿させていただきます。
本日も、最後まで読んでいただき本当にありがとうございました。
次回もよろしくお願いいたします(^^)/